5年前に住んでいた街

2017/06/10 16:55
この春から、いろいろを経て、5年前に住んでいた街のひとつ隣の駅に住んでいる。急いで選ばなければならなかったから、初めて西向きの部屋に住んでいる。直前まで住んでいた、東京2番目の住まいは南東向きで、広い部屋にさんさんと光が注いでいたから、この部屋の朝の暗さにまだ慣れないでいる。だからなのか、ここはなんとなく、仮の住まいのような気がしている。もしかしたら、すぐに出て行くのではないかという気がしながら、とりあえずなるべく快適に整えて暮らしている。

この前知ったのだけど、5年前に暮らしていた街の駅から、まっすぐ10分余歩くと、今の自宅の前に繋がることがわかった。東京の道は斜めだから、そういう不思議なことが起こる。(北海道の道は碁盤の目だから、線路沿いの道を辿っているうちに線路沿いでなくなることはありえない。)

5年前に住んでいた街の駅には、引っ越して以来降りたことがなかった。今日は心地よい夏の日で、疲れていなくて、靴のヒールも太かったから、降りて、この駅から1本道で自宅に帰ってみたくなった。さらには、その前に寄り道して、この街で私が住んでいた寮とそこへ向かう道をなぞってみたいような気になった。

駅のホームから階段を上がるアングルから、もう懐かしさが顔を出し始めていた。
駅直結の西友。地上へ下りる階段。このあたりでもう、ミュージカルサークルに入って、軽やかに歌って楽しくてしょうがなかったころのことをじわじわと思い出した。疲れた日に一度だけ買ったケーキ屋さんはたい焼き屋になっていた。安かった八百屋さんはまだある。

寮への道。たくさん目に入ってくる看板は、それを脳内で読み上げたときの音の響きが、今でも記憶に残っていて、驚いた。井口ポリエチレン。覚えてる、ちゃんと覚えてる。井口ポリエチレンは、表裏に書いてあるから、行きも帰りも頭の中で井口ポリエチレン。と読み上げて、毎日毎日なにがしかの覚悟を決めて生活に挑んでいた気がする。

あのころは買い物も下手だった。今より行く店の種類が少なかった。花屋さんなんて自分に関係ないものとして扱っていたな。ごはんもつくれなかった。生活というのがこんなにも労力が要ってままならなくてつらいものなのかと、毎日泣いていた。

住んでいた女子寮。改めて見ると立派な寮だ。地震がなければマンションで姉と二人暮らしをする予定で、住まなかったかもしれない寮。慌てて最後の1室を抑えて、高い家賃のここに母が住まわせてくれた。彼氏が寮の前まで送ってくれたこともあった。自転車を押した男の子と名残惜しそうに話している女の子も何度も見た。彼氏と隣の駅まで歩いたこともあったし、別れの電話もこの道を歩きながらした、この類の話はもういいや。

寮を見上げて、帰ることにした。思い出を辿る、という月並みな項目をひとつ塗りつぶしたような気がした。たぶんもう一度来たくなることはないだろう。歩き出すと、スーパーの袋をぶら下げた女の子が、寮に入っていった。どんぶりが入っていたから、夕飯にするのだろう。この寮は休日はご飯が出ない。生きている女の子がここへ入っていく姿を見て、思い出辿りがより一層完了したように思った。顔を見たのは一瞬だったけど、あの子ももっと可愛くなる余地がある、垢抜ける余地があると思った。きっと2,3年でこの寮を出て、綺麗になるのだろうなと勝手に思った。

井口ポリエチレン。さあ長居しすぎた。うちへ帰ろう。この駅から自宅への1本道は、全く初めての道で、当たり前だけど何も引っかかるものがない、さっきのノスタルジーあふれる、話しかけてくるものの多い道となんとちがうものか、と思った。

のっぺりした道と暑さにいい加減飽きてきた頃、拍子抜けしたように自宅の前に繋がった。やっぱり東京はワンダーランドだと思う。いつものテンポでポストをあけ、階段をあがり、鍵を開け、嗅ぎ慣れないけど嗅ぎ慣れた我が家の匂いを嗅いで、ふう、ただいま、と呟いた。

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神崎琴音