2019/10/14 22:41
わたしは18歳のときから4回引っ越しをしてきた。現在東京に出てきて4つめの住処に落ち着いている。
その中で一番好きだったベランダの話をしよう。
女子寮、アパート1、アパート2、マンションと住んできて、特別懐かしく思うのはアパート1のベランダだ。
そのアパートには4年住んだ。
はじめに親が入れてくれた(震災の混乱で急いで決断を迫られる中で当座安心してわたしを預けるにはそこ以外にあまり選択肢がなかったのだと思う)、セキュリティ万全の綺麗な女子寮をなんだか贅沢にも窮屈にも思い、大学2年の終わりにトコトコとはじめての不動産屋に出かけた。
「コンロ2口以上、オートロック、2階以上、この金額以下くらいで…」
「その条件ならいくらでもありますよ、なんかもっとほかに希望ありませんか」
「えっ…えっと…多少古くてもいいから安いところがいいです」
「あっなーんだ、なるほどそういうことなら合点がいきました、それならここはハマるかもしれないって物件がありますよ」
学生のうちは安アパートみたいなところを経験しておいてもいいだろうし、そのほうが身分相応だろうと思っていたのだ。似たような家賃で小綺麗なよそよそしいマンションも一応紹介されたが、わたしはほどほどに古さがあり、学生や新社会人が多く住むという、家賃の割に十二畳となぜか広い鉄骨アパートに落ち着くことになった。(奇しくも同じアパートのひとつ上の階にはサークルの先輩が住んでいて、荷解きの只中に訪ねてきて引っ越し祝いにと空きかけのワインをくれた。)
ベテランの不動産屋さんがしきりに言っていたように、なんだかここは「いい感じ」のする場所だった。不動産屋さんは主に街並みについて言っていたのだと思うが(ほどほどに商店街もありつつ清潔でおだやかな雰囲気の住宅街だった)、わたしはとくに部屋の中の雰囲気を「いい感じ」だと思い、その印象は今でもそのままだ。
気の流れとでも言うのか、南向きの陽当たりのおかげだけではない、穏やかで明るい、多少不便や古臭いところがあっても工夫してやっていこうと思えるような、家の持つ「いい感じ」の雰囲気が漂っていたように思う。
ベランダは一人暮らしにしては広いほうだった。
アパートの自転車置き場兼中庭に面していて、見下ろすと草が元気よく茂っていた。向かいの家の窓は板を打ち付けて塞がれていたから、都会の割に人目が気にならない良いベランダだった。
洗濯機をベランダに置くという概念をこの引っ越しで初めて知ったが、使い勝手は悪くなかった。今風の目隠しのきく腰の高さの洗濯物干しなんかではなく、天井からぶら下がる物干し竿に、毎度背伸びをしながらタオルを干した。
村上春樹の影響で、ウイスキーをよく部屋に置いていた。バランタイン、ジョニーウォーカー、カティーサーク。寒すぎない季節にはベランダに出て洗濯物をくぐり、外を眺めながらいつもロックで飲んだ。 格好をつけたかっただけで、大して味がわかっていたわけではないと思うけれど、バランタインはわたしにとって『ノルウェイの森』の味になった。
暇すぎる夜には煙草を吸う真似事をした。キャスターマイルド(今では名前が変わってしまったようだ)。
夜風と月と煙草とベランダの組み合わせは悪くなかった。手すりにもたれて吸えない煙草を吸いながら、お隣のベランダから誰か顔を出さないかなと期待した。時間の経過は早すぎもせず、遅すぎもせず、モラトリアムな夜を淡々と与えてくれた。ああ、わたしは今東京の大学生をやっているのだな。
刹那的だからこそいつまでも続くように思えた自由な一人暮らしの味、それがわたしの一番好きだったベランダの思い出だ。
神崎琴音
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