語彙はほしいよ、いつだって。
歌う代わりに文章を書くし、書く代わりに歌う、そんなかんじ。
お酒に酔えばよく喋るけど、本当は心のなかではそれくらい喋ってる。言葉が好きだから、すらすらと出てこない。一番いい言葉を選びたいから。
ちょっと暗く文学的なことを言うのがアイデンティティだと、自分で思っていたら、それはそこから抜け出せるはずもないよね。
初恋のたびに、語彙がほしいと思った。
先生に逆らうために、語彙がほしいと思った。
憧れの人に追いつくために、語彙が欲しかった。
わたしの小学生から中学生相当の語彙は、ほとんど全部ハリーポッターから得たといってもいい。読書で点数稼ぎをした人生だった。読書による教養の蓄積分で大学に受かったといってもいい。
大学に入って始めた演劇は、心がむき出しの人が上手なようだった。それまで自分を明け渡す語彙を持たなかった。だから習得した。そのために人格を変えたと言ってもいい。芝居がうまくなりたくて。
いまはなんのための語彙がほしいかといえば、なんだろうか。
自分の夢をあけすけに語るための語彙がほしいかもしれない。
恋愛のための語彙も、飲み屋で初対面のひとと話す語彙も持っている、だけど、子どものように、ただ希望ある未来について身構えずにしゃべるのは、苦手かも。それができるようになりたい。
って、子供の頃からずっと思っている気がするけど。
神崎琴音
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