セックスフレンドがいた(2)

文章にして公開することで、自分の性を切り売りするということがどういうことなのか、実はまだ正直よくわかっていないところがある。女性が無闇にそういうことをするのは良くないというような言説もどこかで見たことがあるが、じゃあ男性ならいいのかとか。

そもそもなんのためにこんな話を好んでしているのか。簡単に言うと、心の中の鳥がそう望むから、それに尽きるのだが。

わたしは過去のセックスによって、おそらく何かを傷つけられたと感じている。それはわたしが選んだ道であって、良いとか悪いとかではないし、ジャッジもしてほしくないけれど、じゃあ書くことによってそれがどうなるのかというと。成仏、という言葉は便利だけども、何かを癒したいのだと思う。文章を書くのはもともと好きだが、いま書こうとするにあたって、セックスの話をすることが避けて通れないように、埋めないと先へ進めないチェックポイントのように、そこにある。

なんで傷つくようなセックスをすることになったのか、ひとつはわたしが女だから、もう一つはわたしが人を愛情のみによって捉えすぎるから、だと思っている。

セックスは好きな人ただ一人とするべきという考えがあって。わたしもそちら側を生きている。過去のわたしは好んで一番好きなわけじゃない人とも寝てきたけど、じゃあなんで翌朝のベッドで目が覚めたときの嫌悪感は発生するのかとか。あたりまえのこと書いてるのか?わたしは。ただ、できるのにかなしい、という矛盾した事態が自身に発生することについて、わたしは今でも不可解な気持ちを持っているのだ。その矛盾が、損なわれたというような感情の原因だろう。

だるくなってきた。

今でも恐怖のような感情がかすかに思い出される時がある。怖い。嫌だ。涙が出てくる。なんでそんな思いをしなきゃならないんだろう。悪いのはお前だと言われるのも当然なことをしてきたけど、それでも心は、わたしは損なわれた、と言っている。

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神崎琴音