男性性の詩

たとえば、と言うそのときに、たとえられなかった無数のものたちを感じるから、僕は永遠に存在から離れられず、永遠に僕のままだった、きみのみちたりている顔を見る、そのときにだけ純粋でいられたなら。ぱちん、と日常が弾ける音がして、その隙間から光が差す、刺すときにこそ存在があり、生きているがあって、だからかみさまは存在しない、ぼくだけを見て、とまぶしくはちきれそうなわがままを言えたなら。そこにいないことがきみの存在を引き立たせていて、ぼくはそれをいつまでも覚えていられるくらい賢くなりたかった、さみしさの代替品としての甘さと危うさ、永遠に語られることのないもの。僕のもの、といえるものが世界にはあまりに少なすぎる、そのことに気づいてからきみのことを軽々しくかわいいねと言えなくなった、夕立のあとの夏の匂い、ぼくはいつまでもありきたりで、いつまでも特別。

いつまでもわたし

「いろんな人やものにすごく気を遣って生きてきたんだね」と言われて、涙が出た。もう、自分の幸せだけしか考えなくていいとしたら、何がしたい?死ぬまで歌い続けたい。光って、光って、光って、死にたい。わたしは特別な女の子。あなたにとって、特別。でも、一番は、わたしにとって、特別。美しくなりたい。なってもなっても足りない。セックスのある世界に生まれてよかった。セックスを通して見えるあなたが好きだ。セックスしても見えないあなたが好きだ。わたしにだけは全部、全部見せてほしい。そう願うのに叶わないこと、そのことに、心が燃える。見られることから一生、きっと離れられない。憎んでいるものが本当は愛しているものだったとしたら?わたしはわたしから離れられなくて、だからいつまでも輝きとともにあるしかない。直筆とインターネット上の文字の違いについて。あなたはどこにいますか、そこで、まだ会えていないわたしを渇望してくれていますか。わたしに会えるまで、人生の目的をあきらめずにいてくれますか。わたしは大勢の前で心を明け渡す。そのための声を持っている。それでもあなたは、わたしだけのものでいてくれますか。わたしが大勢のだれかのものになったとしても。生きていたいのです。いのちが輝いていなければ、生きている意味がない。わたしと出会ってください。あなたに会いたい。

春のまどろみの詩

いつも同じ注文ね、と笑われるのがほんとうは嬉しかったから、ぼくは涼しい顔でちいさなフルーツパフェを食べていた、あの日はそう、暖かく乾いた風が吹いていて、不安なんてないみたいだったね、ぼくは巡礼するように、今日も死なずに生きているのです。完璧な希望について、そんなものはないよときみが寂しそうにほほえむとき、東京は雨が降っていて、生きるための明日を部屋の隅に置き忘れてきたみたいだった、一生味方でいてね、叶わなくても願ってしまう。ほがらかな夜、その中心には恋をする花が一輪あって、人々の幸せを祈っているそうです、音のない真夜中の香りを冷凍保存して、いつまでも食べないおくことにするよ、きみの眠る顔はだれにもあげられない。味方でいることと好きでいること、違いがわからないからぼくは永遠に沈黙することにした、きみは暖かな部屋で幸せに暮らしていますか、その祈りだけが手を握っていてくれる。

そばにいることの詩

明かりもつけずに窓辺で本を読むきみの、ぼくなんて必要ないみたいな瞳の輝きを、永遠におぼえていたかった、おぼえているということはあいしているということで、愛は振り解けないから、滴のように滴り続ける。離れる、と、離ればなれになる、どちらかを選ばなけれはならないとしたら、僕のこころをきみが選んでほしい、明日も雨が降るみたい、後悔しないと誓ってみたかった、どこにも行けないのはきみの愛が部屋に散らばっているから。最初の一歩ですべてが変わる、そう思っていたからぼくはきみの側をすり抜けてしまった、声は聞こえなくても存在を感じることはできるよ、いまでもきみは、歌っていますか。春に星が見えないのはきみのせい、ぼくなんか側にいられないくらいきみはひかっていて、だからこそ人類は愛していると伝え合うのだろう、離れられないぼくを照らす、柔和で鮮烈なのぞみ、欲望、甘い香り。

東京の点、線、面

大学1年生のときに入り浸っていた、池袋の「いつものラブホ」。彼はスタンプカードを貯めていて、5個で休憩無料、10個で宿泊無料になるから、わたしたちは大分その恩恵に預かっていた。「いつものラブホ」はホテル名なんて覚えていなくて、西口を出てあの繁華街を抜けて、あのコンビニを曲がって、あのいつも賑やかな飲み屋さんの角を左、次に右。毎度それだけで十分だった。のちにその賑やかな飲み屋さんは中野と新宿に支店があることを知り、数年後に別の恋人と行ったペンギンカフェはその斜め向かいだった。大人になってから通うことにしたバレエ教室の場所を検索したら、「いつものラブホ」に行くときに通っていた道沿いにあった。そうやってどんどん、東京の点と点が線になり、面になっていく。そりゃあ何かが起こる街というのは限られていて、人が集まって色々なことが起こるから、そこは繁華街なのだ。わたしの思い出の蜘蛛の巣はそうして、新宿、渋谷と根を這わせている。新宿にも色々な顔がある。新宿西口のカフェでいつも仕事をしていた指の綺麗なあのひと。先日そのカフェは閉店していて、あの人とわたしとの思い出もそうやって街に新陳代謝されていくのだと思った。新宿三丁目を某色塗りゲームのように一緒に通い詰めたのは、スーツの似合うあの人。わたしの地図作りに随分と貢献してくれた。思えば地図を一緒に作ったのはいつも、わたしの好きな人で、肌を合わせた人だった...

わたしが東京にいる理由 #ALT図書館

『#ALT図書館』というTwitter企画に参加させていただきました。写真:水憂@wasureru22企画:はしこ。@hasiko_、無限@chan_mugenわたしが東京にいる理由「演劇がしたいならここにいちゃだめ。ここには何もない。」体感としてはもうこちらにいる人生のほうが長いような気がしていたが、まだ地元にいた年数のほうが断然長いのだった。物心ついてからをカウントすることにすれば、やっと半々くらいか。とはいえ、現在のわたしの自我が芽生えたのは25歳くらいからだと本気で思っているから、もうすっかり東京の人間の顔をして生きている。12年いても東京タワーには行かないものなのだ。僕の部屋からは東京タワーが見えるよと、機嫌よく言っていた男の子、その部屋の本棚に押し込まれていた、わたしの知らない女の子に渡せなかったのであろう指輪を見てしまってから、その部屋に行くことはなくなった。東京の、都会の暮らしから離れるのがこわい。それは、東京でそれなりに暮らしているという自負がなくなったらわたしには何もなくなってしまう、と、必要以上に卑屈なわたしが言うからだ。感度の高いプレゼントを人に贈ったり、ミニシアターでしかかからない映画を観て小難しい感想を呟いたり、行きつけのバーの常連仲間とカルチャーについて話したり、そういうこまっしゃくれたシティな生活をアイデンティティにしていることを、時折、東京かぶれだ...

詩/また同じ

汚い、汚い、汚い、性を綺麗に言い換えただけの愛、そこには含まれずにこぼれてしまう愛、自分の引き出しの乏しさと、子宮口の微かな痛み、混乱の中にもたち現れるのは自分の愚かさ、また恋愛、薄ぺらい、毎度毎度懲りずに同じ理由ばかりで泣いている、愚かしい、通り一遍の、繰り返し、繰り返し、全てなんて吐き出せないけれど、魂の抜けたような気だるい身体でそれでも思うのは歌うこと、歌うことなんだよ、シンプルな脳みそに生まれついたことに感謝だね、興奮の水面が収まっていく、また、「わたしは平気」という型に精神がまとまり踏み固められはじめる、手垢にまみれた粘土みたい、それでも生きてやる、と思う先が芸術ですか、そうですか、当選おめでとうございます、あなたの分類はここです、聞き飽きた宣告が今日もじんじんと、

世界のすべてを愛したかった

泣きながら「好きだ」と言った記憶がある人は世界にどのくらいいるだろう。きっと掃いて捨てるほどいるだろう。わたしもその、「掃いて捨てるほど」を経験した、ありふれた人間のひとりだ。 ポリアモリー、なんて言葉がわたしの人生に輸入されたのはごくごく最近、30歳も視界に入ってきたここ数か月の話で、肩こりの概念がなかった昔の日本には肩こりがなかったというが、言葉がなければ概念は存在しないのだった。「月が綺麗ですね」。今となってはあまりに擦り切れさせられてしまった愛の言葉だが。 10年前、好きな人のもとに向かいながら、恋人に向かって電話越しに呟いた、別れの言葉だった。あなたのことが好きだけれど、好きな人ができてしまった。人として誠実であるためにはどちらかを選ばなければならない。あなたのことは好きが100あったとしたら100好きだけれど。わたしは、あの人のことを、「愛してる」と思った。あなたには思えなかった。だから、わたしは「愛してる」を選ぶ。ごめんなさい。18歳とは、こんなにも残酷になれるものだったのだ。これを書いているのは10年以上後の新宿のカフェなのに、18歳の夜から逃げ切ってすっかり大人になったつもりでも、それでも苦しくなってしまう。初夏の夜、歩くわたしの頭上には月が出ていた。 月が。月が綺麗ですね。 わたしたちはそう言い合った。 わたしは元恋人との電話を切り、電車に乗り、愛している人の胸...

詩/存在の詩

癒してあげる、とわたしが言う、 そのとき損なわれるわたしの部分を、 あなたはいとおしいその名でよぶ、 さびしいと言えてしまうほど愚鈍で平凡な、 あなたを見ていられないの、 どうしてかみさまはわたしに、 愛することのできる身体を与えたの。 しんでいいよ、とだれもゆるしてくれない。 きれいだね、かわいいね、 きみのこころはうつくしいね、 花が咲いたら見違えるようでしょう、 美しい言葉に耐えられぬ世界は醜いですか、 こちらでは夜空に可憐な星が散っています、 すべての形容詞を拒絶するあなたに。

返信不要です

KくんSくんから訃報を聞きました。お疲れ様。Kくんとは、学生時代のある日にカフェで何時間も喋っても飽きなくて、最後は戸山公園を散歩しながら話していたらおしりを出した変質者がいて、二人で無言で逃げ出してその場を離れてから、大笑いしたことをよく覚えています。その時、ああ、この人とは一生友達でいるんだろうなと思いました。素晴らしく美しい時間をくれて、確かにわたしの人生に明かりを灯してくれてありがとう。ゆっくり眠ってね。また来世であいましょう。琴音より

詩/無限と琴線の詩

恋することができるなら、きみは花びらと同じだけ価値があるよ。見たことないほど鋭利な星の美しさの、その真ん中に位置するのがきみの使命、そう告げることをためらわないほど、うつくしく偏った人間になりたかった。わたしの声は穏やかですか、当たり障りがないですか、この声で切実な音楽とことばを発することを、どうか、人間のいのちであるとみとめてくれやしないだろうか。存在は、影のある実存は、手の届くところにあると思っているうちが花だって、言われなくても知っている。